1週間が経って

東日本大震災東北地方太平洋沖地震)発生から1週間が経った。
福島県は両親の実家があり、少なからず縁のあるところ。
でも中学1年のときから行ってないけど。
いや父方のほうに2005年8月に1度行ったっけ。


3/11の地震の揺れはわたしは初体験で、怖いし、船酔いのように気持ち悪い。
職場は2階でその裏は公園なのだが、避難したのだろう、ヘルメットを被った人と何人かのグループとがいくるもある。そして、どんどん人は増えてくる。
妻は都内で仕事をしているが(Googleマップルート検索で歩き41分)携帯電話では電話もメールもつながらない。最後の手段のEメールで、無事が確認できて安心した。

見える範囲やネットニュースでは都内は著しい被害はなさそうなので、電車が動けば家へ帰れると考えた。だがJRは早くから運休を決めた。地下鉄や私鉄もその決定に続けば、帰ることができない。ゆうが心配だったので歩いて帰ろうかとも考えたが、Googleマップルート検索では歩き5時間半と出て躊躇した。膝が痛いし、途中で足が痛くなっても困るし。。。定時を過ぎて、帰るか会社に残るかは自己判断という指示がでた。何にせよ日も暮れて、どう行動するにも何か食べておかないと思いコンビニに食べ物を買い出た。外は帰宅マップを手に歩いている人がたくさんいた。歩いて帰れるんだ、とちょっと思った。コンビニ2件は既にパンもおにぎりもカップ麺も無かった。他人の動きははやいなぁ。3件目にようやく箱から出しているサンドイッチ6個のうち1つを買うことができた。21時過ぎて携帯電話のメールが繋がるようになる。
22時半頃、ついに帰れる路線の地下鉄が動いたことを知ったので、すぐに退社。
妻と乗り換え駅で待ち合わせをして、日付は変わったけれど無事に家に帰れた。



ゆうは、とてもビビっていた。ゆうも怖かったらしい。でも、ご飯をあげるとガッツり食べました。


我家の被害は、気に入ってた青色のグラスが1つ割れただけで済んだ。
換気扇をまわしたときの音が以前と違って異様に大きな音になったが、しばらく回していたら以前と同じようになったので大事無くてよかった。




そして今週、東京は東京で大変な一週間だった。
ようやく記録する気持ちになったので日記を書いています。



首都圏鉄道各駅が大混雑で入場規制中、ホームに入ることすらできない状態に
http://gigazine.net/news/20110314_train_station_heavy_congestion/
2011年03月14日 08時30分48秒 GIGAZINE


変わり果てた風景、甚大な被害 Google衛星写真を公開 (1/2)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1103/13/news011.html
2011年03月13日 17時23分 更新 ITmedia