事態の大きさで対応も違うハズ

土曜日夕方のTBS報道特集で、東日本大震災のまさに今の首相の対応と阪神・淡路大震災の当時の首相の復興の対応を比較する手法の番組をしていた。
菅首相が持っているノートの欄外の「無私」のメモ書きを、私心を捨てて未曾有の国難に立ち向かうと、深イイ話のようにしていた。総理は自分なのだ、鬼といわれようとも将来きっとこれが良いと自ら決断して実行する、そのために自分自身の心が傷ついてもいつかきっと判ってもらえる、そのために回りに混乱が生じても、私はやる。そういう意思表示なのだ。深イイ話か?



でも、それくらい戒めを必要とし、自らに律しなければならないくらい欲望をもつ人間であるといっているのだ。私は、なんと人間っぽいのだろう、と思った。



震災のあと復興について阪神・淡路大震災のときと比較していう言動が多いが、私は実は疑問に思うことがある。
対処の方法が、事態の規模により適切な解が違うのではないかと考える。
阪神・淡路大震災は大変な自然災害だったが、東日本大震災と比べると影響範囲が局所的ではないか。なので、東日本大震災阪神・淡路大震災の復興スキームを適用するには規模が大きくて、もっと大規模な事態へのスキームが必要なのではないか。
さらに、東日本大震災では福島第一原子力発電所事故が、マーフィの法則のように発生しているので、対応はオプションでなく全体で有機的に進行させなければならない。
なんと創造的な対応が必要なことだろう、と改めて思う。



どちらも採点は今は出来ないと思う。それは、未来の歴史研究家の仕事なのだ。






追記(7/10)

「無私」はこんな気持ちじゃないかな。孫正義のツイートから

@masason ガハハハハー。人生なんて一回きりだ。小さい事を気にしていては何も出来んぞ。誠の志さえあればいつか通じるわい。せめて百年後には。
http://twitter.com/#!/masason/status/89813308718333952



でもその後ここまでは行ってないと思う。孫正義のツイートから

@masason まあ、待っちょれ、待っちょれ。ワシがまとめてみーんな幸せになれるよう汗かくけん。
http://twitter.com/#!/masason/status/89816106226810880